「推し」はいつ現れるかわからないから。
40歳にもなると体力の衰えも感じるし、頭の回転も落ちている気がする。
だけど。
仕事の責任はどんどん増しているし、なのに、相変わらず下働き仕事もある。
うーん、どうやってこの先あと20年働き続けよう。
雇われだとやれることが好きなこととは限らないし、
そうすると、同じ時間働いていても、疲れ具合がきっと全然違う。
かといって、雇われをやめて個人事業主になります!ってわけにも簡単にはいかない。
生活費を稼がないといけない。
そんなことが頭に浮かんでいたときに思い出したんです。同僚の言葉を。
「わたしは社畜で一日を終わらせないためにも、必ず一日の最後にゲームをして自分を取り戻すんです」
関西の方なので、冗談交じりながら本気で笑。
この、”同僚的ゲーム”を持っているか?
これに触れさえすれば”楽し”モードになれるという何か。
それがあると、ひとつ、心のお守りになりますよね。
わたしの母は72歳ですが、韓流ドラマを経由して、中華ドラマに流れ込み、そのまま中華アーティストのファンになって、毎日音楽を聴いて楽しんでるらしく、超元気なんです。
毎日楽しそうで、普段、そんなに出かけたりもしないのに、とても活き活きしています。
人生で最も元気そうなんです!
推し活って人生を推すんですね~。
わたしは小中と、ジャニーズのアイドルに熱狂して推しの下敷きを使う(推しを下敷きにしちゃうんだ…)同級生たちに囲まれ、姉がずーっと俳優、バンドを追い続けて活き活きしているのを見ながら、
ファンって楽しそうだな~と憧れの眼差しで見ていました。
わたしは結局、何かのファンになることってないんだろうなーと思ったのですが。
数年前の紅白で藤井風さんのパフォーマンスを見て、一気に心を鷲掴みにされてしまいました!!
念願の、人生初”ファン”になったのです!!
早朝、ひとり、イヤホンで身体を浄化するイメージで聴いています。
ひとつのこと、ひとりに対して熱狂するタイプではないと思っていたのですが、いつどこで出会うかはわからないんですね~。同じ時代に生まれたことに感謝です!!
じゃあいわゆる推しがいない人はどうすればいいのか。(いないことを否定するわけでは到底ありません!!)
小さな楽しさを余すことなくキャッチできるコンディションでいるのが大事な気がします。
赤毛のアンみたいな。
アンは不遇のなか、現実を生き抜くために想像力を羽ばたかせていたんだと思いますが、
そこまでいかなくても、日常のなかの小さなキラキラを逃さない。
ちょっといい、と思ったら、食いつく。掘ってみる。”楽しさ”を追ってみる。
オリンピックで早田選手の試合に白熱した。卓球って面白い。見に行ってみようかな、とか。
わ、素敵。Youtubeで沼ってみよう、とか笑。
あ、こころ動いた。と思ったらそれを否定しない。
世間体を考えない。これ、好き。それだけ。
要はミーハーになろうってことですね!!自分のこころに流されてみる。
あと、楽しさを楽しさとして感じるには、そもそも最低限のこころの体力が必要だなというのは実体験として感じます。
落ちているときって、落ちるほうに引っ張られてしまって、”楽しむこと”に、ベクトルが向けにくくなってしまうんですよね。
今まで楽しかったことが全然…という場合はだいぶ疲弊状態なので、睡眠を取ることに注力する、クリニック受診などが必要ですが、
そこまででないなら忘れてるだけだから大丈夫です。
気づいたら、あ、そうだった、あの場所に帰ろうって戻ればいいです。
好き、って強いですよね^^