「自分と相手を愛せる、いい距離」とは。
愛するということは、自分と相手を愛せる、いい距離を見つけることだ。
岸田奈美さん「もうあかんわ日記」
Contents
返ってこないボール。
今回はパートナーの話。
わたしのパートナーは、会話が苦手。木、みたいに静かな人。
会話のなかでも、事実のやり取りは問題ない。だけど、雑談とか、こころに関わってくると、得意でないらしく、心理的ブロックがあるみたい。
初めてのデートに誘ってくれたのは向こうだけど、テーブルをトイメンにして黙られちゃぁ、誘われたわたしが番組MCになるしか、ないよな。
MCも嫌いじゃないから、いいのだけど。でもね、MCだって、こころがしんどくなったら、誰かに話を聞いてもらいたくなることもある。
で、あるとき、木に、ダメ元で、「ツライ」ってボールを、地面をころころと転がして投げてみた。
そしたら、、、
反応がなかった。ボールが戻ってこなかった。
それで、
ちょっとボールを強くして、「反応がないのもツライ」って漏らしてみた。
そしたら、、、、、
やっぱりボールが返ってこなかった!!
グラウンドの隅っこに、ぽつんと残された2つのボール。
ああ、期待したわたしがいけなかった。キャッチボールが苦手というのは知ってたんだった。うっかり忘れてつぶやいてしまった。ごめんなさい。
そう思ったものの。
会話苦手言うたって、ソトの仕事ではちゃんと会話できてるんだよね?
家族でコミュニケーション取らなかったら、何で一緒にいる?苦手なりの歩み寄り方ってあるんじゃないの?
子どもを育てる暮らしのパートナーとして一緒にいるんだったっけ。そう割り切るしかない?
ハッ。いかんいかん、相手を責めるような考えばかりが浮かんでもうた。
わたしの思いに立ち戻ろう。えーっとわたしはどう思ってるんだっけ?
「ツラい気持ちをわかってほしい。反応がほしい。反応がなくてさみしかった。」
「ワタシ」ハ、ソウ、イッテマス。
自分の思いを、伝える。
それで、LINEで、送った。
「溺れてるから、助けて、と言ったら、無表情で眺められている感じがして、とてもキツイ。会話が苦手なのはわかってる。でも、ottoがどう感じているのか、攻撃しない形で教えてほしい。」と。
そうしたら、数日経ってやっと既読になって返事をくれた。
LINEを見る習慣が、ないらしい。
「すごく心配している。寄り添い方がわからないし、やればいいのはわかっているけど、すぐできないだけ。こうなっているのは自分のせいだなんて思わなくていい。」
要約すると、そんな返事だった。
心配してくれてたんかーい!!
ハイジ主題歌のメロディにのせちゃうよ。ソプラノでね。
「教えて~~~~~♪♪♪」ひとことでいいから~。
でも、そのひとことが難しいんだよね。うん。
今まで人に悩みを打ち明けられたり、寄り添うっていう経験がなかったんだろうな。きっと。どうしたらいいかわからずフリーズしてたんだろうね。
山瀬まみさん、Yes/Noまくら、今更だけどください。(用途ちがうか。)
発送しなきゃ、届かない。
伝えて、よかった。あのまま沈黙しなくて、よかった。
何よりよかったのは、相手の言葉を、聞けたこと。
そんな風に思ってたんだ。それが苦手なんだ。逆にわたしはそれが当たり前にできるんだ。だから、モヤっとしちゃうんだ。
それがわかるだけで、同じ無反応でも受け取り方が全然違ってくる。
あのまま沈黙してたら、相手のことも自分のことも、愛せなくなっちゃう。
・・・・・
ちょっと話は逸れるけど。
母の日に、日ごろの感謝を込めて、義理の母へ贈り物を送りたいと思った。
だけど、いそがしさを言い訳に、発送タイミングを失ってしまい、当日に間に合わなかった。
それでそのまま発送しなければ。
贈り物を送りたい、と思っていた気持ちも、相手には届かない。
遅れてもいい。ひとこと、「いつもありがとう」の言葉を添えて、発送した。
・・・・・
またまた話は逸れるけど。
小学生の娘の宿題で、国語の教科書を音読する宿題がある。
ある日、こんなストーリーが飛び込んできた。
飼っていた犬がある日突然死んでしまった。もっと「大好きだよ」「ありがとう」って言えばよかった。と悔いる内容。
※とにかく忘れっぽいので、絞りに絞り出した結果、これしか思い出せなかった。
その日から、子供たちに、「愛してるよ、大好きだよ、おやすみ」と必ず言うように、している。
最初は、自分で自分をくすぐっているような、モゾモゾ感があった。
言い慣れない。
だけど、繰り返し、繰り返し言っていたら、「おやすみー」という挨拶として一体化した。
お届け物は、発送しなければ、届かない。
今では、5歳息子も、母に「あいしてるよ、だいすきだよ、おやすみ」と言ってくれる。
とても、うれしい。
発送方法も、ひとつじゃない。
ottoの話に戻ろう。
それ以降、ちょっと聞いてほしいこころの声があったら、LINEすることにした。
トイメンで無反応だとザワザワしちゃうけど、LINEだったら、相手のタイミングを待てる。
キャッチボールじゃなくたっていい。交換日記だっていい。手紙だっていい。伝書鳩だっていい。
これがわたしたち夫婦の、”いい距離”かもしれない。
受け取られなければ、届かない。
ottoは、不器用ながら、わたしのことをとても心配してくれていた。
その愛情は、物理的やさしさとして表れていた。
料理や洗濯、家事全般。わたしが忘れてしまうことをさりげなくフォローしてくれたり。好きなものを買ってきてくれたり。
だけど、わたしは、困惑していた。
ツラいと漏らしても無反応なのに、物理的にはやさしい。。って、どゆこと?
今は物理的やさしさをありがたく受け取れる。
「わたしはこんな風に愛情表現をします。こんな表現は苦手です。」
「了解です、このやり方は苦手なのですね。わかりました、こちらの形式で受け取ります。」
っていうやり取りが、言語上でも非言語上でもいいのだけど、1度擦り合わせをしておかなければ、相手は、受け取りようがないって思った。
Aさん)キャッチボールをしたかったのに、Bさんに投げたボールをスルーされたと思っている。
Bさん)キャッチボールをスルーしたんじゃなくて、相手によろこんでもらいたくて、花壇にお花を植えていただけなのに、なぜか相手が悲しんでいるのに困惑している。
うわうわ、90年代ラブストーリーもびっくりの、笑っちゃうぐらいのすれ違いじゃねーか!
じゃあ、「愛してる」だのハグだのわかりやすい愛情表現をすればいいのか?というと、そうではないのが人間の面倒くさいところ。
相手が受け取る準備ができていなければ、置き配がどんどん溜まっていく。
置き配の場所が、わかりにくい場所ならば、「ここ置いておくねー」って事前連絡しておかないと、受け取れない。
発送頻度も人それぞれ。
さらには、発送頻度、つまり気持ちの表現も、人によって、度合が違う。
1番多い発送先はアナタ。
自分のものさしの中では、世界で1番関心があるのがアナタだけど、
相手のものさしから見ると、その頻度が、「10年に1回の発送て…、すくなっ(驚)」ってなるかもしれない。
相手がもうちょっと発送してほしいと言うのであれば、1カ月に1回でなくとも、1年に1回とかね、ちょっと増やしてあげたらいいのかなって。10年をいきなり毎日にするにはなかなかエネルギーの問題があるけどね。そこは相手も譲ってあげないと、ね。
いい距離って。
”いい距離”っていろいろ。
つくづく、自分の当たり前は、誰かの当たり前ではないってことに気づかされたけど、わたしってすぐに忘れちゃう。
感じてることを怒りや悲しみで包まず、「そのまま」相手に伝えるのって大事。
相手だけじゃなく、「自分」も愛せる距離。だからね。
わたしがわたしでいること。まず、自分がどうしたいか。
愛することって、そこから。そこからの、擦り合わせ。