「規則正しく」に縛られない。
自分が感じる違和感を違和感として受け取るのではなく、そのまま自然に感じたらいい。
メンタル不調を乗り越えた今、そう思うようになりました。
わたしは、決まった時間に決まったことをやるということが、やろうと思えばできるのだけど「苦手」を感じていて、
メンタル不調以前は、社会適応力が低いと思っていました。
今では思います。適応力、高くなくていい、と。
「規則正しく」の窮屈さ。
健康でバリバリと社会適応している時には気づきにくいことですが、われわれ人間も、季節や天候や月経周期を含めたバイオリズムなどによって、日々違う状態にある「生き物」の一種です。それを機械的リズムで規制することが、いかに「生き物」の自然に反したことなのか。そのことを、改めて考えてみる必要があるでしょう。
泉谷閑示さん『クスリに頼らなくても「うつ」は治る』
決まった時間に働き、決まった時間に休み、決まった時間まで働く。
保育園や幼稚園からこのようなスケジュール管理が始まっているわけですが、考えてみたらロボットのようですよね…。
日没や気候、体調なんかは関係ないわけです。
現代社会ではやむを得ないと思うのですが、大自然の賜物であるわたしたちの心と身体は、規則正しいスケジュールに合わせてくれているという視点があるだけでもだいぶ違います。
月曜日のからだのだるさは、もうそのペースについていけないよ、という心と身体のメッセージかもしれません。
そんなときに、自分はダメだ、と責めるのはなく、「疲れたよね。毎日厳しいスケジュールに合わせてくれてありがとう。」と声をかけると、心と身体はなだめられると思うのです。
「継続」は夢中の結果。
不調中、ヨガを習慣にしたいと思って始めましたが、途中で心身のエネルギーが落ちたときは、続けることができませんでした。
それについて、自分は継続力がない、なんて責める必要はないのです。
またやりたいなーと気持ちが湧き上がれば、また始めればいい、それだけです。
「結果」として、気づいたら継続してやっているならいいのですが、「意志」の力で無理に続けようとしていることがあったら、それはやめてもいいことです。
「継続は力なり」という言葉がちらついて、「続けなければ力がつかない」「続ければ道が開ける!」と考える人も多いと思うのですが、これは、もともと資質のある人が夢中になって継続した結果として、さらに力をつける、という事象を表したものです。
その方向に資質のない人が無理に頑張って継続すると、スキル面では一見力をつけたように思えても、身を削りつづけることになるので、長期的には続けられません。
一定期間続けられたとしても、いつかどこかで心身を壊してしまいます。
現代社会はただでさえ「規則正しく」プレッシャーがいたるところにあるので、自分に対しては手綱をゆるめておくのがちょうどいいです。
心と身体に感謝する。
ところで、時計の歴史を調べてみると、江戸時代では、季節によって変わる夜明けと日没に合わせた不定時法に基づく和時計が使われていて、現在のような季節問わず定刻の定時法が導入されたのはほんの150年前のことなんですね。
(一般社団法人日本時計協会HPより)
お寺の鐘の音が、時を知らせてくれていました。
常に時間を気にするのではなく、空の色と体感と鐘の音で知る大らかな区切り。
昔に戻せ、ということではないのです。ただ、代わりに差し出したものを知っておくことが大事です。
キャンプに行くと、時計ではなくて、お日さまを基準に動きます。だから心地いいのかもしれないです。心と身体にもわかるリズムで動けるからです。
生まれながらに「規則正しい」人なんていないですよね。
その日の気候や気分、体調によって変わるリズム。それが自然体。
わたしたちの心と身体は、毎日社会適応のため、すでにがんばっています。
分刻みのスケジュールに合わせてくれてありがとう、毎日毎日お疲れ様。と、自分に向けて労いの言葉をかけてあげてくださいね。