他人の不機嫌に振り回されないために。
不機嫌な人がいると。
自分が何かしたんだろうか、と思ってしまうこと、ありますか?
わたしはよく、不機嫌を自分に向けられているのかと感じて、様子を探り、
機嫌取りにいくということをよくしてしまっていました。
もはや飛んで火に入る夏の虫。
不機嫌な人は、近づく者に対して、当然不機嫌をまき散らします。
そのうち、近づかなくても、この人なら大丈夫だ、と思われて、勝手にぶちまけられるようになります。
そうやって、自ら他人の不機嫌を転々とするんです…!
家族の場合、不機嫌だった理由を後から聞いてみると、
単に疲れていた、思うようにいかずイライラしていた、頭痛がしていた、という理由のことも多く。
こどもの場合、八つ当たりのことも多いです。
他人の不機嫌 → わたし何かしたかな? と思ったら。
あ、また思い込みが作動してる、と気づいて、一旦違う可能性を考えてみましょ。
職場の人の不機嫌も。
何も言われていないなら、こころの距離を置いてみる。
こころのなかで、何かあったのかもしれないな、と考えるに留めてそれ以上考えないようにしてみる。
考えちゃうかもしれないけど、「あ、やめよ、やめよ」って考えないポジに戻ろうとしてみる。
腰の腎臓あたりをあっためるように手を当てて、深呼吸をして、ふーっと息を吐いてみる。
だって、考えても、考えなくても、相手の不機嫌が変わらないのだから。
それなら考えないを選んだほうがいいでしょ^^
そうやって、自分とは、切り離してみる。
もしかしたら自分に原因があるかもしれないけど、直接言われていないのなら、本当のところはわからない。
本当に気がかりならば、何かあった?と聞いてみるのはいいと思うけれど、それで相手の反応がイマイチだったら、相手が落ち着くまで、こころの距離を置いてみる。
自分と他人は違う、他人のことは100%わからない、という大前提を思い出すのも効果的です。
何も言われていないのに、他人の不機嫌→自分のせいだって、本当のところはわからないですよね??
わからないなら、しーらんぺったんごりらー でいいんです!(こどもがよく言ってる笑)
それと、イライラしている人は、それ以上近づくな、という動物的サインをせっかく出してくれてるわけなので、そこにあえて近づかないほうがいいですよね。
小さい頃によく見ていたムツゴロウさんを思い出します。
ああ~そういえば、子どもの場合は、離れすぎても×な場合があるのでした。
近すぎてもダメ、遠すぎてもダメなときがあるんですよねぇ。
最近、小4の娘によく勉強教えて、と言われるんですが。
頼まれて教えるのに、何とも理不尽にイライラされること茶飯事なんです。
間違っている箇所にチェックを入れたら、「合ってたよ!?何言ってんの!?はぁ!?」とか。
わからない、と言うから、「こうしたらどう?」と提案すると、「そんなの意味ない。ママのせいでやる気なくした!」とか。
「じゃあ、どうする?続ける?やめる?」と聞くと無視。母が動こうとすると怒る。
こういうときはイライラで頭がいっぱいなので、残念ながら正論を言っても耳に入りません。
本人もきっとわかっているはず。
「そんな言い方はないわー」と言いつつ、「やるようだったら声かけてね。待ってるね。」と、「つかずはなれず」の声掛けをしておきます。
それで大事なのが、さっきのあの態度、めっちゃ生意気よね、腹立つよね、理不尽すぎるよねって自分と会話してあげるんです。
我慢したら、感情が成仏されないから、この工程は大事です。
いくら何でもあんな言い方はないよね~、とか。
疲れてるときにやられるとイラっと来て、思わず怒るときもあるんですが、
こういうおかしなやり取りも今のうち(…と思いたい。)なはずと思って深呼吸しながら笑。
意識を遠くに飛ばすイメージで~~~~。ぽーーーーーん、と。
中学生のときの音楽の先生が、「声は頭の上から出すイメージでね~~~~ あ~~~~♪」って言ってたなぁ。関係ないけど。
イメージって結構効きますよ。こころをぽーーーーーんと、遠くに。一時避難。
気持ちって結果で、そこまでの工程は気持ちから推察するには情報量が圧倒的に足りないのが人間関係で起こってる問題なんじゃないかな。近づくでも離れるでもなく、ここにある気持ちをただ見つめるってのができたらなにか分かるのかもだけどそんなんできるかーい!ってね。
ほんとにそうだわ。その工程、他人からすると知らんがな、なのよね。で、そのことを共通認識として持ってるかというと意外と持っていないという悲劇。いい距離を探し続けるのが、誰かと生きるってことなのかもしれない。