こころが自然と動くのを楽しむ。
友人から、ディズニーランドの写真が送られてきました。
わたしはディズニーランドが、あまり得意ではありません。昔はどう振舞えばよいかわからなくて、むしろ苦手でした。
思い出すのは22歳の頃。アルバイト先の店長が、故郷の沖縄に戻ることになり、最後の東京記念に、ということでディズニーランドへ行くことになったのですが、そのときにご指名があり、「付き合い」で一緒に行くことになりました。
(東京が最後ということで、断れなかった。。若かりし自分。)
きっと店長(男性)は、22歳女子の「わー!かわいいー!」というリアクションを求めていたに違いありません。
わたしは精一杯「あそこミッキーいるー(冷静)。」とか言ってた気がします笑。
待つのも苦手だし、一体どうやり過ごしたのか。思い出せない。。。ほぼ記憶なし。
とりあえずスプラッシュマウンテンで「わーっ!」って言っていた薄い記憶。
という話はそろそろおしまいにして、何でディズニーランドで思い切り楽しめないのか、という話です。
別の友人が、こんな秀逸な表現をしてくれました。
「押し寄せる楽しまなきゃプレッシャーに焦っちゃう。」
それだ。それ。
みな、「ギア」を入れて「楽しみに来てる」その感じに、追いつけないというか。
「楽しいに決まってる。」「楽しまないなんて、おかしい。」
そんな同調圧力を勝手に感じてしまって、自分をえぐってしまっていました。
いつもそうでした。追いつけないんです。
たまごっちがめちゃくちゃ流行った時も、急にギアを入れられなくて、飛びつけない。
たぶん、こころが自然に動いてないのに、無理矢理「動かす」ことに、ザワついちゃうんだと思います。
だから、「楽しい」がデフォルトになっていると、窮屈に感じてしまうわけです。
そのくせに、みんなと同じように飛びつけない自分の所在が気になってしまうんですね。
かつて、そんな自分を「面倒くさい」と思って、見ないフリをしていました。
合わせようと頑張って、テンションを上げてみたこともありました笑。←自分なりに。
だけど、大人になって、そういう自分も認められるようになってから、自分のペースで楽しめるようになりました。
だって、追いつかなくていいんです。
子どもとか、一緒に行く人が楽しんでいるのを見て楽しみます。
乗り物は、普通の公園の大きな滑り台で、「ひゃ~!」って滑るのと同じような、日常の延長線で。
それと、建物の造りがすごい、とか、キャラクターの縫い目とか、接客の笑顔の口角がすごい、とか、ひっそり楽しんでいます。
そんな、こころが自然と動く、ささやかな楽しさ。それがわたしの楽しみ方です。
ただ、やっぱり、アトラクションのために長蛇の列に並ぶモチベーションが湧かないし、大自然のほうが魅かれます。
娘保育園時代は、せがまれて毎年行っていたのですが、娘がプリンセスを「ダサい」と思い始めたのを機に行かなくなって、内心ホッとしているわたしです。
次行くときはどんな感触になるか、楽しみです。