オススメ本 | 太田啓子さん「これからの男の子たちへ」
友人に薦められた本です。
性別に特化した子育て本は、普段、手に取ることがないのですが、友人の真剣な熱量を感じて読みました。
そうしたら、予想外にもハウツー本ではありませんでした。
見えてきたのは、暮らしに深く根差す、社会の価値観。
わたしの中の父親像。
家事育児は一切しない。
やってもらって当たり前。
当たり前のように妻を使う。
高圧的。威圧的。頑固。
自分は絶対に正しい。間違いを認めない。
俺が稼いでやっている、という考え方。
なぜ、そんなにえらい?
人間性に対して、行使する権力がアンバランスだと、人は反感を覚えます。
10代の頃、もちのろん、嫌悪を募らせ、反発していました。
※今では父はかなり丸くなりました。時代と社会の影響の大きさを感じています。
お金を稼ぐことがそんなに偉いなら、絶対にずっと外で働いてやる。決して、稼いでやっている、なんて言わせない。
というのが、わたしの就活の軸でした苦笑。
男社会なんて関係ない?
一方で、男社会の弊害というのは自分には関係がない、古い男社会はもう過去のもの。そう思っていました。
不毛なパワーゲームに巻き込まれず、自由でいられてラッキー。
スーツにネクタイ、飲みにケーション。
名誉、肩書、プライド…。
縛られていて窮屈そう。
それに引き替え、わたしは自由。生まれ変わっても女性に生まれたい。
…と思っていました。
だから「男女平等」「フェミニズム」と言われてもピンと来ていませんでした。
脇道で、気ままに、マイペースにやれれば十分。
だって、人権は平等にあるんだから。
「男らしさ」に絡む生きづらさ。
ぜんっぜん、この社会システムの根幹の仕組みをわかっていなかったです。人権意識の希薄さを。
違和感を感じてきた成長至上主義。ずっと抱えていた生きづらさ。
その根底に、自分には関係ない、と、横目で見ていた男社会の価値観が、根深いところで影響しているかもしれない、とこの本を読んで急に自分事になったのです。
さらに、わたし自身も、「男らしさ」を都合よく使っていたことに気づきました。
男性以外のジェンダーにとっての生きづらさは、男性にとっての生きづらさと表裏一体ということも腑に落ちました。
息子。
息子がいます。
おなかの子が男の子だとわかったとき、密かに、少しだけ戸惑ったことを思い出します。
将来、わたしが苦手な「おっさん」になるかもしれないんだよね、この子、と。
なぜすぐ手を出す?
なぜこわす?
なぜ打っても響かない?
「男はこういうもんだから。」
つい、そう言って諦めたくなることは、日常茶飯事です。
でも、ちがうちがう、ひとくくりにしちゃいかん。この子自身の問題なんだ。
決して、弱い者を傷つける男にはなってほしくない。
そして、自分らしく生きてほしい。
読後、そんな風に思いました。