忘れられるという幸せ。
とにもかくにも忘れっぽい。
やろうとしたことを忘れる、持っていたものがいつの間にかない、なんてしょっちゅう。
こないだ、子供たちとプール遊びをしたとき、ゴーグルを頭につけながら、「ゴーグルどこいった?」と聞いて、ひと笑い買ってしまった。
人の顔は忘れないのに、名前はすぐに忘れてしまう(涙)。
生活上の支障はなかなかで、だから、仕事となるとメモ魔になる。
小さい頃は、自分の忘れっぽさに落ち込んだりもしていたけど、あまりに度が過ぎるから、受け入れざるを得ず、今では、すっかり開き直っている。
で、周りの記憶力のいい人に頼っている。
ottoは記憶力がいい。それでパートナーとして意識的に選んだわけではないけど、無意識では確実に選んでると思う。真逆のタイプ。
思い出の記憶データベースとして大活躍。あのときあんなことした、こんなことしたよね、とか。
こないだ我ながらひどいと思ったのが、「これ、いいよね」と、さも自分の目利きのように自慢した品が、ottoからのプレゼント品だったという(汗)。
そういえば、定期的に集まる親しい友人たちはみな、どこかボケている。
それで、あまり昔のことを記憶していないのか、我々はほとんど昔話をすることが、ない。
だから、いつも、話題が「今」になる。
だから、過去を忘れていても、あまり困ることは、ない。
だけど、もしも、みんなが忘れているのに、ひとりだけ覚えていたら、結構しんどいかもしれない。
ひとりだけ、違う時間軸で生きてる心地がするのかな。
忘れっぽいわたしは、いいことも悪いことも、具体的なエピソードは、うっすらとした感覚記憶になるか、すっかり忘れてしまうか…。
しっかり覚えられる人にとっては、情報量の多さに比例して、脳の働きがフル稼働になるわけで、なかなかハードだ。
覚えたくないことまで、勝手に覚えてしまう。それってキツい。
意図的にデリートできたらいいのにね。