散らかりOKの部屋がいい。#1 考え方編
「片付いた素敵な暮らし」の呪縛。
本屋の暮らし関係のコーナーに行くと、片づけ本がたくさん並んでる。
どれもこれも美しい部屋の写真。
これって、容姿端麗なモデルさんたちの雑誌をひたすら見続けてるのと一緒かも。
昔から思っていたんだけど、平均的日本人とあまりに体型違う人が洋服着てるのを見たって、
あんまり参考にならないのよね。
最近流行りの足首絞るタイプのヤツ、あれ、わたしが着ると、たぶんモンペになる(苦笑)。
だから、雑誌見ても惑わされちゃいけないの。
ファッション系は、30代以降、ほとんど見なくなったなー。
ECサイト「北欧暮らしの道具店」は、身長別に何人かのスタッフが試着している写真があって、あれはめちゃくちゃいい、すごくイメージが湧く。
話がギュインと逸れたけど、「片付いた素敵な暮らし」の呪縛ってある気がするなーと思ったということ。
「片づけても片づけても、こどもが散らかす。」
「家族が片づけてくれない。」
「疲れていて、部屋が散らかって自己嫌悪。」
こういうのって、「キレイで片付いた素敵な空間」っていう理想の呪縛が大きいかも。
もちろん理想が毎日実現したらいいけれど、理想に執着したら、現実とのギャップで、自分のイライラや家族不和のもとになってしまう。
日々の暮らしは生きている。
日々の暮らしは止まらない。つねに変化してる。だからこそ愛おしい。
一回片付けたって、こどもたちが秒でおもちゃを広げることもあるし、ソトから色んな書類やら荷物が突然やって来ることもある。
「ワタシ」だって、いつだって片づけられる元気が一定であるかというと、そんなことはない。自分の身だしなみすらどうでもよくてとりあえず寝たい日もあるし、とにかく本を読みたい日もあるし、色んな日がある。
だから、毎日片付いてなくっていい。
一旦「片付いた素敵な暮らし」のイメージ画像はデリートしよう。
戻せる仕組みがあればいい。
わたしの場合、究極、どうであればいいのかというと?
いつでも散らかりを簡単に片づけられる仕組みがあればいい!
- どこに戻せばいいかが明確。どこに何があるかが明確。
- 片付けがすぐに済んで、やりたいことがすぐできる。
- 家族がそれぞれ片付け方がわかる。
- 仮置きなどの余白スペースがある。
普段散らかってても、夕飯準備がすぐできる、とか。
週末だけ片づけて、ゆっくりお酒飲めればOK、とかね。
こんな部屋だったら、一時的に散らかってても、そんなに気にならなくなるのでは?
一番は、自分も家族も楽しく暮らすこと。みんなの幸せが一番大きくなる解を探す。
だから、これくらいのゆるさでいたい。
散らかしって自由。
考え方と普段の暮らしって相似形。
メンタルも、フラットな気分への戻し方というのがわかっていれば、多少揺れても、そんなに動揺しないはず。
所定を決める。軸を作る。
散らかってもいい。揺れたっていい。
散らかりって、自由。
こころを思い切り広げて、アレコレやってみる。
そんな自由をおおらかに受け止めてくれる部屋づくりを、したい。