自己肯定とは、「ある」を認めること。
自分を一番の相談相手にしたい。そう思ってセルフコーチングに興味が湧き、図書館でワード検索してヒットした本を手にとってみました。
とある本で。
自己肯定感を高める、ポジティブワードで満たす、自分の好きなところ探し…
むむ。なんだかザワツク。
そういうことではなくて、好きも嫌いも超えて、こんなわたしがいる、そう思う、それだけを認める境地に至りたい、と思ったのでした。
あまりにポジティブが強調されると、ネガティブをより意識してしまうというか、物事を善悪で判断する視点から解放されていないと感じます。
「頭」がある限り、それはなかなか難しいのはわかっているのですが。
善悪で判断せず、こういうところあるよね、と、ひとつひとつ認めてあげていくことが、自己肯定だと思うのです。
自分の心と身体が穏やかでいられないような見方ばかりしているのであれば、そのときは視点を変えてみます。
たとえば。
人の気持ちに左右されやすい→人の気持ちに敏感→想像力がある→共感しやすい。
自分をデッサンするように、360°色んな角度から。
自分を色んな角度から見るときに、好きなところだけから探そうとすると、あ、これは嫌い、と、自分の一部を捨ててしてしまうことになります。
なので、好きなところも嫌いなところも全部淡々と拾い上げて、ひとつひとつについて360°見回してみてください。
忘れっぽい。→過去に執着しない。→今を生きる。→計画が苦手。→目の前にあるもので何とか乗り切る。
いいと思っているところも360°。
自分でよく考える→考えすぎて行動できないことがある→慎重に検討する→他人の意見も取り入れる→考えを左右されやすい→色んな視点から検討する→ひとつの出来事から色んなことを学ぶ…
こんな風に。
他人から見て、デッサンが変だと思われる心配は無用です。整合性も不要です。
自己肯定とは、ただそこに「ある」ことを認めることだからです。
とにかく自己否定しない。と言ったほうが、わかりやすいかもしれないですね。
「自己肯定感を高める」というと、自分への好意を大きくするといった意味を感じ取ってしまうかもしれないのですが、あえて好意を高めようとする必要もないです。
好意を高めよう高めようと意識するということは、自分に好意がないことの裏返しだからです。
「良い」とか「悪い」とかは、視点が変われば、意味合いが変わるものです。
むしろ人生に全部活かしてやろう、という気持ちで視点をあちこちに移して自分の資質を見てみます。
もし、気を逸らそうとしても、自己否定が止まらない場合は、かなり疲弊している可能性があります。
少しでも心身が休まるように、薬の処方が必要な場合もあるかもしれません。
このとき、「薬に頼っている」ではなく、「薬を活用している」と考えてみてください。
薬も。わたしも。あるものを活かす。あるもので工夫する。これって人生の醍醐味ですよ。