泉谷 閑示さん | 仕事なんか生きがいにするな
10代の頃から感じていた社会への違和感。
こんなに簡単に買って、簡単に捨てる罪悪感。繰り返す消費のための労働。
企業は、あんなに成長を掲げて、一体どこに向かうんだろう。
職場では、意味を見いだせない業務が、そのままに踏襲されている。
それなのに効率。効率。効率で計れない大事なことが、後回しになる。
当時は、批判的な気持ちが湧く一方で、そういう疑問を持ってしまう自分がおかしい、深く考えすぎ、適当にやればいいのに真面目すぎる、と思い、社会不適合であると自己否定しつづけていました。
やっと自分を受け入れられるようになって、今では思います。
適合しなくていい。
違和感は、こころの叫び。
自分の感じたことを否定しなくていいんです。本当の素直な気持ちが、世間一般とずれることって多いです。
でも、自分の暮らしの範囲ではパッと見、少数派に見えるため、自己肯定できていなかったかつてのわたしは、「他とちがう」と思い込み、自己否定を繰り返していました。
流されたくない。
人生を消費したくない。
振り返ると、自分の知恵で毎日を創りたいと、もがいていたのだと思います。
精神科医・泉谷 閑示さんは、この違和感は、人間として、ごく自然なものなのだと後押ししてくれます。
世の中で用意されている「仕事」の多くが、「労働」と呼ばざるを得ないような、手応えの少なく断片化されたものになってしまっている今日、私たちは既存の選択肢の中だけでキリのない「職探し」に迷い込んではいけないだろうと思います。
泉谷 閑示さん「仕事なんか生きがいにするな ー生きる意味を再び考えるー」
「苦しいこと」「我慢すること」が正当だという雰囲気で満ちている、そんな「労働」が蔓延する組織で、「人間」であろうとすることの、何と摩擦の大きいことか。
だから、仕事はお金のため、と割り切って、ドライに働く人も多いわけですね。
そのことを客観的に理解しているだけでも、自分を無用に責めずに済みます。
違和感を感じる自分よりも、そもそも環境がおかしいと気づくには、こうして引いて見ることが大切で、もし環境を変えられるなら、それが一番です。
組織で働く仕事だけで生きがいを何とかしようとするのは、現代では、なかなかハードルが高いわけですが、そうしたら、諦めるしかないのか。
泉谷さんは、「何でもないように見える「日常」こそが、私たちが「生きる意味」を感じるための重要な鍵を握っている」といいます。
私たちがこんな風に「日常/非日常」を区別していること自体が問題なのかもしれません。私たちは「日常」という言葉に、ついつい「ルーチンでつまらない時間」というニュアンスを込めてしまいがちなのですから。そこでまずは、この色あせたニュアンスをまとった「日常」というものをいかに非日常化して、区別なく味わい深いものにできるか。つまり、人生の時間を丸ごと「遊ぶ」ことができるかが、問われてくるのです。
泉谷 閑示さん「仕事なんか生きがいにするな ー生きる意味を再び考えるー」
頭ではなく、こころと身体が喜ぶこと。
頭で考えた効率でもメリデメでも義務感でもなく、こころとからだが欲していること。
自分心地を大事にして暮らしていくこと。
とはいえ、自分時間がそもそも少ないなか。言うは易し、行うは難し。
まずはプライベート時間からでもいいのです。
お次はオフィシャルタイムにも。
あらゆるスキマに、自分心地をどんどんすべり込ませて、じわじわと自分なりの幸せを広げていきましょう。